第二次趙北部攻略戦は、前回「大敗」しかも「桓騎軍消滅」というあまりに衝撃的なエピソードであった趙北部攻略戦のリベンジ戦だ。
秦が中華を統一するためには必ず勝利しなければならない戦いであり、当然李牧との再戦となる。
ただしこの戦いは読者にとって、あれほど苛烈だった前回の趙北部攻略戦(宜安の戦い)以上に不安を感じる始まりとなった。
なぜならこのエピソードの前口上として「史書に“戦国期にあって秦軍に最大規模の犠牲を出したと記される大戦”が幕を開ける」と書かれたからだ。
それではどのような戦いだったのか、本記事では第二次趙北部攻略戦の全体の流れやあらすじをネタバレ解説、注目ポイントをわかりやすく振り返っていく。
第二次趙北部攻略戦までの流れ
桓騎が死亡し全土に衝撃をもたらした趙北部攻略戦(宜安の戦い)から1年…。
始皇15年(紀元前232年)、雪辱に燃える秦は再び趙北部攻略戦に大軍を動員する。
狙うは宜安より西の大都市「番吾(はんご)」。
中華統一のため、秦軍は今度こそ負けられない戦いに挑む─!
第二次趙北部攻略戦編は何巻?
第二次趙北部攻略戦は71~73巻(予定)で描かれる。
71巻の出だしは新生飛信隊のスタートであり、我々読者も気持ち新たに第二次趙北部攻略戦へと臨める。
羌礼と昂の進展や亜花錦のプライベートなど、今回のおまけマンガも必見だ!
第二次趙北部攻略戦概要
- 飛信隊が太行山脈の南の“列尾”経由ではなく、北の“太原”を経由し、北東部軍と合流してから趙入り
↓ - 王翦軍・楊端和軍・玉鳳軍と合流
↓ - 番吾手前で待ち構えていた趙軍と対峙
※この間、秦は鄴に騰軍を置き、李牧が城主となった武安と、南側からの魏・楚の動きを警戒
趙北部・番吾
※宜安より西に位置する
※番吾城には昨年の趙北部攻略戦時に捕虜となった壁たち秦兵が収容されている
番吾手前の頭佐平原にて趙軍との広域戦となる
●秦軍25万【総大将:王翦、副将:楊端和】
右翼3万:飛信隊
遊軍(右翼と中央の後方)3万:玉鳳軍
中央12万:王翦軍(亜光3、倉央3、田里弥1、王翦5)
左翼7万:楊端和軍5万+北東部軍2万
●趙軍30万【総大将:李牧】
左翼7万:北部軍〈袁環〉
遊軍(左翼と中央の後方)4万:李牧軍〈李牧、カイネ、傅抵〉
中央10万:青歌軍〈司馬尚3、カン・サロ2、ジ・アガ2、楽彰2、フーオン1〉
右翼9万:雁門軍〈舜水樹3、馬南慈3、馬風慈1、骨珉伯2〉
李牧打倒あるいは番吾の陥落
※番吾は趙右翼の後方方面にある
第二次趙北部攻略戦の注目人物
【秦軍】
●王翦軍の将たち(亜光・田里弥・倉央&糸凌)
今回の戦いの主力を担う、六大将軍第三将・王翦軍の将たち。
鄴攻めで読者に実力を知らしめて以来の主役級エピソードとなる。
知将・王翦のもと常勝軍として君臨してきた彼らが、李牧の策に満ちたこの戦いで未知の司馬尚軍と激突する!
●キタリ
楊端和軍下・メラ族の若き女族長。
先の戦いで捕虜となった壁の救出に向けて一心不乱に戦場を駆ける。
【趙軍】
●李牧
趙の宰相で三大天の1人。
昨年の戦いでは準備に準備を重ねて六大将軍の1人・桓騎を倒す。
今回の戦いでは朱海平原で敗北した王翦が相手となるが、やはり恐ろしいほどに入念な準備で待ち構えていた。
●司馬尚
趙・青歌城の城主であり、李牧に三大天として推されながらも任命を断ってきた陰の実力者。
李牧が邯鄲を追われた際に青歌に匿っていた。
李牧の働きかけによって青歌民を率いてこの戦いに参戦。
秦にとって未知となるこの青歌軍の存在が戦いのカギを握る。
将のカン・サロとジ・アガにも注目だ。
第二次趙北部攻略戦の見どころ
① 新生飛信隊
番吾の戦いで大幅に兵力を減らした飛信隊は、人員を補足して新生飛信隊となり再出発する。
② 飛信隊が太原入り
飛信隊は今回、太行山脈の南の“列尾”経由ではなく、北の“太原”を経由しての趙入りとなる。
理由は2つ。
1つは兵の増強であり、太原で飛信隊は2万2千人増え、信2万・羌瘣1万の計3万の大軍となった。
もう1つの理由は狼孟の攻略である。
昨年大敗した最大の理由は、太原に集まった北東部軍20万が狼孟軍に奇襲されて5万しか宜安攻めに参加できなかったことだ。
そこで今回は北東部軍を安全に趙入りさせるための狼孟攻めが昌平君から飛信隊に命じられた。
そして狼孟からすでに青歌軍が撤退していたこともあり、飛信隊は3万となった自軍の練兵も兼ねながら1日で攻略してみせた。
③ 飛信隊が開戦の口火を切る
祭蛇平原にて本軍と合流し25万となった秦軍は、番吾手前で待ち構えていた趙軍31万と対峙する。
両軍布陣し緊張感が高まり切ったところで、王翦から指名された飛信隊の突撃が戦いの口火を切った。
④ 中央戦場に李牧が出現
飛信隊の右翼と楊端和の左翼の戦場が動き出し、中央でもしびれを切らした亜光が動き出す。
すると相対する楽彰軍が亜光軍に合わせるように何やら不審なペースで進軍。
そして両軍が激突しようとした時、亜光は視界の端…右の森付近になんと李牧の姿を捉えた。
明らかに罠であったが、亜光はそれを承知で300騎を連れて李牧を討ちに向かう。
⑤ 屈強!亜光軍
趙軍は当然その動きを予測していたため、すぐさま楽彰とフーオンの隊が亜光を包囲した。
するとそこで亜光本軍の予備軍が持ち場を離れ、亜光が狙う李牧の首を取りに動き出す。
指示なくとも亜光の意志を汲み、目的のためにひたすらに突き進む…それが王翦軍第一将・第一軍の強さなのだ。
しかし李牧はまだ離脱せず、待機させていた300騎の傅抵隊をさらに亜光へと向かわせる。
楽彰・フーオン・傅抵…3人の将に狙われる亜光であったが、王翦の右腕として不屈の闘志で堂々と矛を振るってみせた。
ここでようやく李牧が傅抵隊に守護されながら離脱を開始する。
⑥ 飛信隊も李牧追撃戦へ
中央戦場から離脱した李牧は右翼側の脇をすり抜けるように移動。
そのため亜光は李牧の逃げ道を塞ぐため、右翼・飛信隊にも李牧の追撃に加わるよう伝令を出す。
ここで李牧を討てればこの戦は早くも秦軍勝利で終わるのだ。
飛信隊は河了貂の指示で信を中心とした1万を李牧追撃戦へと回す。
信にとって去年の桓騎や那貴や岳雷の…いや王騎の時からの借りを李牧に返すチャンスであった。
⑦ 王賁が右翼を守る
1万減った飛信隊の元に遊軍であった玉鳳軍が、王賁自ら1万を率いて現れた。(残り2万を関常に任せてきた)
飛信隊の動きの理由が李牧であろうと察し、そして「影丘」での恩を返す意味でもやってきたのだ。
王賁は信が確実に李牧を討てるよう、自分が右翼を引き受けて河了貂も李牧追撃へと向かわせた。
ただし王賁は趙左翼の見せた微かな違和感から、李牧の逃走劇が初めから計画されていたことに気づく。
⑧ 仕組まれた土塁攻め
飛信隊は所々で乱戦を繰り返すも捉えきれないまま、李牧に突如現れた土塁の砦に逃げ込まれてしまう。
信と河了貂は、急造したと思われるこの砦の規模と、こちらが1万である状況を鑑みて「十分に落とせる」と判断し、城攻めを開始。
想定通り砦を制圧してみせるが、なんとそこに李牧の姿はなかった。
予め抜け道の地下道を作っていたのである。
そもそも李牧は1年かけてこうした地下道つきの土塁をいくつも作っていた。
理由は飛信隊がどこに布陣しても対応できるように。
そう李牧の一連の行動の狙いは初めから信だったのだ。
厄介な信を“戦の外”に張り付けておき、本命・王翦の首を狙うわけである。
⑨ 番吾城を目指すキタリ
その頃、秦左翼ではメラ族が骨珉伯軍を突破し、キタリの判断で戦場を離脱して番吾城へと向かった。
番吾城には、昨年の戦いの際に捕虜となった、壁を含む秦兵がいるかもしれないからだ。
楊端和は北東部軍と猿手族にメラ族の後を追わせる。
⑩ 青歌軍動き出す
そして中央戦場ではその王翦の首を狙うべくついに青歌軍が動き出した。
倉央軍3万にはジ・アガ軍2万がぶつかる。
亜光軍3万と対峙している楽彰軍3万にはカン・サロ軍2万が加わるが、この差を埋めるべく王翦本陣からも2万の援軍が加わり5万vs5万となった。
この互角の戦場を崩すべく、元々王翦軍一の“殺傷部隊”だった田里弥軍が必殺の軍として動き出す。
田里弥軍はまずジ・アガを狙い倉央軍と合流するが、そこへ司馬尚とその本軍が現れたことで事態は一変する。
⑪ 趙軍の必殺の計画
押し寄せてきた司馬尚本軍は、警戒する亜光軍とも倉央軍(田里弥軍)とも交戦しないまま間を抜けていく。
そこで王翦軍の将たちは、楽彰軍もジ・アガ軍も、第一将・カン・サロの軍でさえ“助攻”であったことに気づいた。
全ては主攻である司馬尚本軍が無傷で王翦本軍と戦うため!
しかし気づいた時にはすでに遅し…亜光は楽彰に、倉央はカン・サロ(糸凌はジ・アガ)に抑えられ、本軍ともとへ駆けつけられない。
しかも先述のように飛信隊は封じられ、それを補完すべく遊軍の玉鳳軍1万が右翼へ行ってしまっている。
開戦直後に李牧自らが戦場に現れたあの時から、この形になるように全て仕組まれていたのだ。
⑫ 倉央と糸凌の別れ
遊軍として残っていた関常率いる玉鳳2万がすぐさま駆けつけ横撃するも、司馬尚軍は全く怯まない。
武・勇・心が揃っている強軍であり、何より司馬尚があまりに強すぎるのだ。
しかし亜光が王翦の守護に向かうため、楽彰に背を斬られながらも何とか突破。
さらに倉央軍では倉央を王翦の元に向かわせるために、糸凌がカン・サロとジ・アガの相手を買って出た。
その気持ちを汲み、倉央は歯を食いしばって田里弥とともに王翦の救援へと向かう。
“死が2人を分かつ時までずっと一緒だ”と約束を交わし、公私ともに連れ添ってきた倉央と糸凌がここで離れることとなる。
⑬ 糸凌がジ・アガ撃破
カン・サロとジ・アガ2人を相手取る糸凌を援けるため、申赫楽と山秀がカン・サロとの相討ちを狙う。
するとその動きに便乗して糸凌がジ・アガを討った。
その際に左手を粉砕される大怪我を負った糸凌はもはや戦える状態ではなくなっていたが、カン・サロは友のジ・アガを討ったことへの敬意を表してとどめを刺さずに司馬尚の元へと向かった。
⑭ 今度は田里弥が
倉央&田里弥軍が後方から突撃したことで司馬尚軍の勢いが弱まる。
とはいえ屈強な司馬尚軍に阻まれそれ以上進めなくなってしまったため、今度は(すでに深手を負っている)田里弥が潰れ役を買い、倉央を先へと進ませた。
⑮ 亜光&倉央が王翦の元へ到着
王翦の近衛兵団が士気高く王翦を守り続けるがいよいよ司馬尚の刃が王翦の眼前へと迫る。
そこへついに亜光と倉央が到着した!
ただし司馬尚の元にも楽彰とカン・サロがやってきてしまう。
⑯ 亜光戦死!
司馬尚に加え、第一将(カン・サロ)と第二将(楽彰)に揃われてはさすがに分が悪い王翦軍。
すると今度はすでに致命傷を負っていた亜光が、王翦を倉央に任せ足止め役を買って出た。
倉央は茫然と亜光を見つめたまま動かない王翦を一喝し、戦場からの脱出を目指す。
残った亜光は王翦の偉大さを主張しながら最期まで王翦の右腕として気高く戦い、司馬尚に斬られ戦死した。
⑰ 田里弥も戦死!
亜光戦死の報を聞いた関常が王翦の脱出を援けようとするも楽彰軍に阻まれてしまう。
援護のない王翦本陣はいよいよ脱出が不可能かと思われた。
が、そこへ田里弥軍が出現!
生きてここまで駆けつけてきたわけだが、田里弥はまたしても潰れ役を買って出た。
王翦が止めようとするも、亜光と同じくすでに致命傷を負っていたため、その覚悟は固く…。
田里弥もまた倉央に王翦を託し、王翦軍の将としてしっかりと殿を務め気高く散った。
カン・サロがとどめをさす前にすでに息絶えていた。
⑱ 今度は亜花錦が殿に!
王翦本陣の窮地は終わらない。
倉央もいよいよもって諦めかけたその時、今度は敵後方から王賁の指示でやってきていた亜花錦隊が出現!
亜花錦は王翦を鼓舞し、殿を買って出た。
亜花錦の言葉によって、亜光・田里弥の死で茫然自失としていた王翦が立ち直る。
一方で中央戦場には傅抵軍も投入され、徹底的な掃討戦の末に王翦軍は壊滅した。
⑲ 飛信隊を脱出される王賁
関常隊と合流できた王賁は、玉鳳軍を関常と番陽に任せ、自身は100騎を連れて王翦の元へと向かう。
その際、玉鳳軍の素早い撤退と同時に、右翼・飛信隊の撤退を手助けするよう指示。
この先の秦のために、中華統一のために、飛信隊の力は玉鳳・楽華と同じく必要不可欠だと考えているからである。
信は李牧を捉えられなかった失態を挽回したかったが、昨年からの二連敗という屈辱を受け止めて、玉鳳の力を借りながら撤退を開始した。
⑳ 番吾の壁たちを救出
その頃、キタリたちが番吾城に突入。
壁たちが番吾にいる保証はない中、極めて小隊のため包囲され全滅する可能性もあるにもかかわらず、キタリは番吾にいるなら今回しかチャンスがないかもしれないと考えギリギリまで捜索に臨む。
その突入騒ぎを聞きつけ、壁たち捕虜秦兵も僅かな望みに賭けて脱走を開始した。
秦軍敗戦の情報も入り、この機を逃せば自分たちはもう持たないと考えたからだ。
その互いの思い通じ、再会を果たすことができた。
壁たちをメラ族の馬に乗せ、趙からの脱出を目指す。
㉑ 倉央が王翦軍を離脱
楊端和軍、飛信隊、玉鳳軍は被害を抑えながら国境付近まで辿り着き、王翦本陣も王賁が合流しながら何とか国境付近までの離脱を果たした。
すると、皆に王翦を託されながら側近として唯一生き残った倉央が、ここでまさかの王翦軍離脱。
糸凌を敵地に1人で放っておくことができず、彼女の亡骸を抱きしめるために斬られる覚悟でカン・サロ軍に投降したのだ。
すると亡き親友ジ・アガの性格を汲んだカン・サロによって糸凌が生かされており、倉央は糸凌と予想外の再会を果たす。
そのうえカン・サロと青歌民の思いがけない厚意により、2人はそのまま解放されたのだった。
第二次趙北部攻略戦結末
〇壁ら捕虜となっていた者たちが救出される
✖王翦軍壊滅
→亜光・田里弥が死亡
→倉央・糸凌は王翦軍に戻る
五千人将軍・辛勝の登場
中華統一を諦めざるを得ない?
→✖什虎で結んだ秦魏同盟の期限が間もなく切れる
⇒〇昌平君が“国をあげて行う三つの戦争改革”を提唱
〇李牧フィーバー
→人形や饅頭がバカ売れ
✖裏で郭開一派に不穏な動き
→秦との戦がなくなって李牧が邯鄲に戻ると自分たちが官職を失ってしまう
(その焦りの動きを姚賈がチェック)
第二次趙北部攻略戦まとめ
第二次趙北部攻略戦は趙攻略を見据え「今度こそ」と挑み、番吾を狙って趙軍とぶつかるエピソード。
しかし
- コスパが悪いと考える飛信隊(信)の分離
- それに伴う玉鳳の分散
- 青歌軍を助攻とした王翦軍の抑え込み
- まさかの司馬尚本軍を主攻にした王翦本軍への突撃
と、やはり今回も李牧によって策が練りに練られており、常勝王翦軍の敗北どころか王翦軍壊滅という大敗を喫することとなった。
複雑な戦になるほど強い王翦に対し、そのフィールドでは勝てぬと朱海平原で実感した李牧が、シンプルな司馬尚本軍vs王翦本軍のぶつかり合いに持ち込んだところが勝敗の決め手である。
特に局面打開のカギとなってきた飛信隊と玉鳳軍を早々に封じられてしまったことと、司馬尚軍の想定以上の強さが王翦の誤算であり、敗北に繋がった。
王翦を守り“復活の根”が残ったとはいえ、王翦壊滅という王翦軍ファンにとってはあまりに悲しいエピソードとなり、そして秦にとっては桓騎に続き王翦と、六大将軍2人の敗北とその軍の壊滅という大きな損失となり、中華統一の道を諦めるという決断も求められる状況となってしまった。
王翦軍が壊滅し魏との同盟期限も迫る中、秦が中華統一を目指す道はまだあるのか、昌平君が見出した「三つの戦争改革」に注目が集まる。
転勤で全国を渡り歩く流浪のマンガ好き。
現在は北海道在住で金カム等の聖地巡礼を満喫中。
自分用のメモを発展させブログにした形でして、端的にまとめるためにあえて感情を省いた文章にしています。
基本的には自分が好きな漫画だけになりますが、作品を知りたい・内容をおさらいしたい・より漫画を楽しみたい等のお役に立てればと思っています。